真実を知りたいー4

エスタブの欺瞞が許せないので、頑張るしかないのです。

政治的に消されていく言葉

iyahaya

 尖閣諸島問題に関し、中国側は72年の日中共同声明の交渉にあたり、国交正常化を優先して尖閣の領有権を巡る問題を「棚上げ」したと主張しています。

  中国では、日中交渉のすべての会談に参加した張香山(中華人民共和国外交部顧問)が回想録の中で、第3回首脳会談で、両国はこの問題を「棚上げ」にすることで合意したと書いているといいます。  

 この会談で、周総理は田中首相からの「お国の尖閣諸島についての態度をお伺いしたい」との質問に対し、「今回は話したくない。今この問題を取り上げてもいいことはない」と返答したといいます。これを受けて、田中首相は、「それで結構です。これ以上言う必要はない。今後のことにしましょう」と応じたというのです。

 またその後、中国の鄧小平氏が、

”この問題については双方に食い違いがある。国交正常化のさい、双方はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉のさいも同じくこの問題にふれないことで一致した。中国人の知恵からして、こういう方法しか考えられない。というのは、この問題に触れると、はっきりいえなくなる。確かに、一部の人はこういう問題を借りて中日関係に水をさしたがっている。だから両国交渉のさいは、この問題を避ける方がいいと思う。こういう問題は一時タナ上げしても構わないと思う。十年タナ上げしても構わない。われわれの世代の人間は知恵が足りない。われわれのこの話し合いはまとまらないが、次の世代はわれわれよりもっと知恵があろう。その時はみんなが受け入れられるいい解決方法を見いだせるだろう。”

と語ったことが、報道されています。

 そして、当時の野中広務元官房長官も、1972年の日中国交正常化の際、沖縄県の尖閣諸島の領有権問題を棚上げする共通認識があったと述べているのに、その「棚上げ論」がなかったことになろうとしているのです。

 だから、”尖閣諸島に領土問題は存在しない”と教えられる日本の子どもたちには「棚上げ論」というのは意味不明の言葉になり、消えていくのだろうと思います。

 さらに琉球処分当時、日本に併合されることに反対する人たちが清に渡って窮状を訴え、琉球国再興のための助力を清に求めたということですが、その人たちを「脱清人」と呼び、また、石垣島在住の詩人、八重洋一郎さんの高祖父が残したという琉球処分を進める日本人を「日毒」(日本の毒)と表現した、まさに日本人が心に刻むべき言葉が、語られることもなく消えていくというのは何ともやりきれない思いがします。


 言葉に関して言えば、下記のような言葉も看過できません。

 朝日新聞は、8月30日、”防衛概算要求 続く膨張 精査が不可欠”と題する記事を掲載しました。その主張は間違ってはいないと思いますが、その出だしに重大な問題があると思います。

”国の財政は 税収増が続いているとはいえ、巨額の借金頼みであることに変わりはない。厳しい安全保障環境に対する着実な防衛力整備が必要だとしても、「特別扱い」を続けることが妥当なのか。年末の予算編成に向け、費用対効果や優先順位を厳しく精査する必要がある。”

というのです。でも、”厳しい安全保障環境”とはいったいどういうことでしょうか。その「環境」は、中国を敵視するアメリカがつくりだし、アメリカに都合のよいアメリカ発の情報に基づいて語られているのではないでしょうか。

 戦前、多くの国を植民地とした欧米諸国は、戦後、それらの国の政治的・軍事的支配をやめ、文化的・経済的支配、すなわち新植民地主義的支配に変えたと言われます。私は、上記のような報道は、アメリカの情報支配に基づく、新植民地主義のあらわれではないかと思います。

 またしばらく前、朝日新聞は、政治季評欄に <国際秩序「絵に描いた餅」と否定する前に 価値観 傷つけているのは”誰”か>と題する明治大学教授、重田園江氏の文章を掲載しました。ウクライナ戦争に対する姿勢とイスラエルによるガザへの報復攻撃に対する姿勢が、あまりに違うということで、欧米の二重基準を糾弾するとともに、国連を生かし、国際法遵守を訴える内容です。

 そうした姿勢は大事なことだと思いますが、そのなかに下記のような「ブチャでの民間人虐殺」に関する文章がありました。

 ”ウクライナとガザへの対応の違い。これはまるで国際法秩序が、その時々の世界情勢や紛争の犠牲となる地域によってねじ曲げられ原則を失ってもかまわないというようなものだ。キーウ近郊のブチャでの民間人虐殺は、映像や証言と共に衝撃をもって受け取られ、ロシアへの非難が高まった。ではガザは? ウクライナ・マリウポリの製鉄所に降り注いだとされる白リン弾は、ガザでは08年~09年の攻撃で用いられていた。イスラエルによる封鎖で「天井のない監獄」と呼ばれてきた場所に、空気に触れると800~3000度に近くに達する爆弾が落とされたのだ。”

 こうした欧米の二重基準を糾弾し、国連や国際法の重要性を訴えるような文章のなかにも、欧米からもたらされた一方的な情報がそのまま使われていることに、私は、欧米の新植民地主義の影響を感じるのです。

 ブチャの民間人虐殺は数々の疑問が提起されているのに、何も検証されていないのです。ネット上には、きちんとしたニュースサイトのものもあります。もちろん、情報の中には、捏造されたものもあるかもしれませんが、すべてがそういうものだと言い切ることはできないと思います。だから、きちんと検証される必要があると思うのです。

 検証されていない事実を、あたかも客観的事実であるかのように語り利用することは、欧米の新植民地主義を支えることになると思うのです。


 下記は、「沖縄について私たちが知っておきたいこと」高橋哲哉(ちくまプリマー新書)から”「日毒」という言葉”を抜粋しました。

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             第一章 沖縄の歴史

              一 琉球処分

 「日毒」という言葉

 石垣市在住の詩人、八重洋一郎さんの作品に『日毒』という詩集があります(2017年、コールサック社刊)。「日毒」とは驚くなかれ「日本の毒」という意味です。

 八重さんの高祖父は「琉球処分」の頃、八重山で書記官、つまり琉球王国の官職就についていました。その高祖父の書き残したメモが35年前に発見され、そこに日毒」という言葉があったのだそうです。

「光緒五年、日人(日本人のこと)が琉球に侵入し、国王とその世子を虜にして連れ去り、国を廃して県となし、只いま島の役人が君民日毒に遭い困窮の様を目撃、心痛のあまり危険を犯して訴えに来閩」(閩は福建省の福州)。「光緒」は清の元号で、光緒五年は1879年、まさに琉球併合と沖縄県設置の年です。亡国の渦中にある琉球の役人が日本の横暴を「日毒」と表現し。清の福州にわたって救済を訴えたことが記されていたわけです。

 八重洋一郎さんはこどもの頃、祖母から、曾祖父(祖母の父)が島の牢に入れられ、拷問されていた話を聞いていました。おばあさんはその牢まで毎日食事を届けていたといいます。曾祖父は解放後、拷問の後遺症でしょうか、何も語らず静かな「狂人」として生涯を終えたそうです。そして後年、八重さんが曾祖父のを家を取り壊した際、祖母の居室があった場所の地中からボロボロの手文庫が見つかり、紙魚(シミ)に食われ湿気に汚れて今にも崩れ落ちそうな茶褐色の色紙が一枚出てきて、そこに「日毒」と血書されていたというのです。

 高祖父と曾祖父、そのニ人が遺した「日毒」という言葉。八重洋一郎さんは、この言葉は今なおリアリティを持っていると言います。日本政府が進める辺野古の新基地建設や「南西諸島」への自衛隊ミサイル部隊配備などへの強い危機感が、そこに表れています。