「ショック・ドクトリン」と「資本の魂」
高市自民党政権は、ふたたび為替介入をしたようですが、格差が拡大し、富が金融資本へ集中していく流れのなかで、積極財政を続けていくようでは、円高は期待できないと思います。いろいろな意味で根本的な対策が求められているのです。
でも、資本家(投資家富裕層)は、常に自らの利益で動いていて、どうすれば国際社会や日本がよくなるかというような全体的な視点をほとんど持ち合わせていないと言っていいと思います。マルクスが、「資本家は、人格化された資本に他ならない。彼の魂は資本の魂である。ところが資本は、ただ一つの生活衝動を、すなわち、自己を増殖し・剰余価値を創造し・その不変部分たる生産手段をもって最大可能量の剰余労働を吸収しようとする衝動を、有する」と指摘したように、基本的に利益第一で、道徳性に欠けているのです。
たとえば、2008年3月、東京電力の土木・津波担当部署は、国の地震調査研究推進本部の長期評価や貞観地震などの知見をもとに試算した結果、福島第一原発に約15.7mの津波が到達する可能性を算出し、当時の福島第一原発上層部に 、防潮堤を造り、防波堤を高くして、機器の浸水対策をすることを進言していたのです。でも、上層部は、この15.7mという数字は、地震調査研究推進本部の「長期評価」に基づいているが、その評価方法には異論もあるとして、すぐ工事を始めるのではなく、土木学会に評価を依頼して科学的に妥当かどうか再確認するとして、工事を認めませんでした。「防潮堤を造るべきだ」という担当部署の方向性に対し、待ったをかけ、上層部は「その津波予測は本当に科学的に正しいのか、まず専門家に確認しよう」などと言って、周辺住民の命の問題にすぐに向き合わなかったので、手遅れになったのです。
また、水俣病における原因企業チッソ(旧・日本窒素肥料)は、1956年に水俣病が公式確認された後、熊本大学の研究班などが「原因はチッソの工場排水に含まれる有機水銀」である可能性を指摘していました。しかし、チッソ側は「自社の排水原因説には根拠がない」と反論し、原因を否定するとともに、大事な事実を隠蔽して、悲惨な事態をもたらしました。
こうした例は、内外に数えきれないほどあると思いますが、資本家(投資家富裕層)が、「資本の魂」をもって、利益を追求しているからだと思います。基本的に道徳的ではないのです。
その資本家(投資家富裕層)と一体の、高市自民党政権は、自らが生き残り、利益を上げるために動いていて、日本が直面している問題や多くの国民の苦しみに、根本的な対策を取ろうとしないのです。
だから、労働者の窮乏化・貧困化が一層進み、若者の雇用も悪化するのではないかと思います。論議されている一時的な消費税減税や税額控除や給付は気休めであり、一時逃れの誤魔化しだと思います。
現在のアメリカを中心とする西側諸国の資本主義が、どういうものであるかを、ナオミ・クライン氏は、「ショックドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く」 幾島幸子・村上由見子訳( 岩波書店)で明らかにしています。
惨事に便乗して利益を上げようとする、資本家(投資家富裕層)は、まさに、マルクスがいうところの「資本の魂」を感じさせます。
そして、日本でもこの「ショック・ドクトリン」については、東日本大震災(2011年)後の復興政策や経済政策をめぐって議論になっているのです。
震災直後、政府や経済界はすぐに「創造的復興」を掲げ、復興特区の設置、農地利用の規制緩和、大防潮堤の設置などに取り組んだのです。だから、「被災地の非常時を利用して、新自由主義的改革が一気に進められている」という批判の声が上がったのです。
下記は、「ショックドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く」序章の一部ですが、その本質がわかると思います。
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序章
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自由放任 資本主義推進運動の教祖的存在で、過剰な流動性を持つ今日のグローバル経済の教科書を書いた功績で知られる経済学者ミルトン・フリードマンも、ニューオーリンズの水害をまたとないチャンスとみなした 1人である。崇拝者たちが呼ぶところの”ミルティーおじさん”は、このときすでに 93歳という高齢で健康を害した身ではあったが、新聞に持論を寄せるまでの気概は持ち合わせていた。ハリケーン災害から三ヶ月後、フリードマンは『 ウォールストリート・ジャーナル』紙の論説にこう書いている。「ハリケーンはニューオーリンズのほとんどの学校、そして通学児童の家々を破壊し、今や児童生徒たちも各地へと散り散りになってしまった。まさに悲劇というしかない。だが、これは教育システムを抜本的に改良するには絶好の機会でもある」
フリードマンが提唱した 抜本的改革案というのは、政府は現存の公立学校システムを再建・改良することに何十億ドルの金を注ぎ込む代わりに、ニューオーリンズ市に教育バウチャー制度を導入すべきだ、というものだ(「バウチャー制度」とは 義務教育の学校運営に市場競争原理を持ち込み、私立校にも公的援助資金を支給することで教育の競争を図り、学力の質の低下を防ごうという試みで、1955年にフリードマンが提唱)。 子どものいる家庭には政府発行の利用券が配られ、保護者はこれを使って子どもを私立学校(その多くは営利追求型)に通わせることができる。学校にはこれに応じて 公的補助金が支給されるという仕組みである。これを機に、教育改革を一時しのぎの対策にとどめることなく、”恒久的改革”として取り組むべきだ、とフリードマンは 説いた。
右派 シックタンクの各団体はここぞとばかりにフリードマンの提案に飛びつき、災害後のニューオーリンズ市に押し寄せた。ブッシュ(息子)もまたこのアイデアを支持し、同市の学校システムを、 民間団体が公的資金によって学校を設置して自ら定めた方針や規則に従って運営する「チャーター・スクール」に切り替えるべく、何十億ドルという政府資金を提供した。今日、チャーター・スクール制度は全米の教育現場に深い亀裂を生んでいるが、それが最も顕著なのがニューオーリンズである。 アフリカ系アメリカ人の多くの父母は かつての公民権運動によって勝ち取った「すべての子どもが平等に義務教育を受ける保証」がこれによってくつがえされてしまうのでは、と危惧する。片やフリードマンは、州政府が運営する学校 システムという概念そのものが社会主義の臭いがする、と一蹴する。彼の設によれば、州政府が果たすべき役割はただひとつ、「 国家の敵から、そして州外のわが同胞市民から、当州民の自由を守り、治安を維持し、民間の随意契約を強化し、市場 競争を促進させること」にあるという。言い換えれば、州政府は治安維持のための警察と兵力を持つだけでいい、無料公 教育 を含むそれ以外のすべては自由市場を妨害する不正行為にあたる、というわけだ。
水害の修復や電気の復旧が遅々として進まずにいたニューオーリンズだが、その スローペースとは対照的に、学校システムの売り渡しは軍隊並みのスピードと手際の良さで推し進められていった。災害から1年7ヶ月後、貧しい市民の多くがまだ 避難生活を送っていたにもかかわらず、同市の公教育システムは民間運営のチャーター・スクールへの移行をほぼ完了させていた。ハリケーン・カトリーナに見舞われる以前、同市の学校区には 123の公立学校があったが、今やそれが4校まで激減し、以前は 7校しかなかったチャーター・スクールは31校にまで増えた。災害前、 ニューオーリンズの教員たちは強固な教職員組合を組織していたが、この どさくさで組合の契約規定は破棄され、47 00人の組合員 教授の全員が解雇される結果となった。若手教員の中には前より安い給与でチャーター・スクールに職を得たものもいたが、ほとんどの教師は職を失った。
こうして変貌したニューオーリンズを『ニューヨーク・タイムズ』紙は「 今や全米でも注目すべき チャーター・スクール採用拡大の実験場」とし、フリードマン経済学を信奉するシンクタンクのアメリカン・エンタープライズ研究所は、「ルイジアナ州の教育改革者が長年やろうとしてできなかったことを(中略)ハリケーン・カトリーナは1日で成し遂げた」と嬉々とした口調で報告した。その一方、本来なら被災者救済に割りあてられるべき金が 公教育制度の解体と民間運営への移行に転用されていくのを目撃した公立校教師たちは、フリードマの改革案を「教育現場の強奪」と呼んではばからなかった。
壊滅的な出来事が発生した直後、災害 処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域にいっせいに群がるこのような襲撃的行為を、私は惨事便乗型資本主義」と呼ぶとにした。
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