韓国の「国民的屈辱の日」とIMF
現在の国際社会では、欧米の 資本家(投資家・富裕層)によって、欧米の資本家(投資家・富裕層)のための政治や外交が、当然のことのように行われているといってもよい、と私は思っています。
それは、「ショックドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く」ナオミ・クライン 幾島幸子・村上由見子訳( 岩波書店)の下記の文章でもわかると思います。
第二次世界大戦末期、アメリカのブレトンウッズで国際通貨金融会議(ブレトンウッズ会議)が開かれ、国際通貨基金(IMF)や世界銀行(IBRD)の設立が決められましたが、それは、アメリカ主導の戦後秩序の構築であり、IMFの意思決定の仕組み、融資条件、政策運営など、いずれも、欧米の資本家(投資家・富裕層)に都合の良いもであったと思います。それを象徴するのが、IMFの「加重投票制」です。国連総会のような「1国1票」ではないのです。IMFの憲法といわれる、IMF協定第12条には、加盟国の出資割当額に応じて投票権が大きくなることが定められているのです。だから、圧倒的な経済力を持つアメリカが、やりたい放題ができる組織がつくられたのだといってもよいと思います。
IMFは、アジア通貨危機の流れのなかで、国家財政の危機に直面した韓国に対して、資金支援の条件として、高金利政策、財政緊縮、外国資本への市場開放、そして労働市場の規制緩和(解雇の容易化)などを突きつけました、それは、韓国一般国民の仕事や生活を考慮することなく、アメリカを中心とする西側諸国の資本家(投資家・富裕層)の意向に基づく、事実上の韓国経済の乗っ取り・解体といえるものであったということです。だから、韓国では、メディアや政治家が、IMFとの交渉が成立した日を「国民的屈辱の日(National Humiliation Day)」と名づけて批判したのだと思います。
私は、 1953年以来「米韓相互防衛条約」を締結している韓国に対するこのようなIMFの仕打ちを見逃してはならないと思います。
かつてアメリカの影響下にあったと思われる知識人が、トランプ大統領は、「法の支配」を無視し、「世界の秩序」を破壊しているというのですが、私に言わせれば、その「世界の秩序」は、アメリカを中心とする西側諸国の資本家(投資家・富裕層)のための秩序なのです。
ナオミ・クライン 氏の下記の文章が、そのことを示していると思います。
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第4部 ロスト・イン・トランジション──移行期の混乱に乗じて
第13章 拱手傍観
──アジア略奪と「第二のベルリンの壁崩壊」──
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フィッシャー以下 IMF のアジア担当チームは、その提案を即座に一蹴した。 IMF は危機発生の原因には何ら目を向けることなく、捕虜の弱みを見つけようとする尋問間さながら、この危機を いかにうまく利用できるかだけに関心を寄せていた。経済危機に陥ったことによって、意志強固な国々が頭を下げ、温情を請うてきたのだ。シカゴ学派エコノミストが率いるIMF がこのまたとないチャンスを逃せばプロの名に恥じるというわけである。
国家財政の危機に瀕した「アジアの虎」たちは、 IMF の見地からすれば「崩壊」したのであり、一から作り直さなければならなかった。その第一段階は「「アジアの奇跡がもたらされた主な要因である貿易と投資に対する保護主義、および国家の積極的な介入」をすべて取り払うことだったと、フィリピンの政治学者ウォールデン・ベローは書く。また、アジア諸国では記録的な数の自殺者が出ていたにもかかわらず、IMFは公共部門の労働者の大量解雇につながる予算の大幅削減を要求した。韓国とインドネシアにおける危機は過剰な政府支出とは無関係だとIMFが結論を出したあとフィッシャーはその事実を追認した。それでもフィッシャーは厳しい緊縮政策を押しつけるため、危機の威力を最大限に利用した。『ニューヨーク・タイムズ』紙は IMF のこうした 振る舞いを、「外科医が心臓手術の真っ最中に、肺や肝臓もちょっといじってみようとする」ようなものだと書いた。
こうして「アジアの虎」諸国から古いやり方や慣習を一掃したあと、シカゴ方式による国家の再生が図られる。基幹サービス事業の民営化、中央銀行の独立化、労働市場の”柔軟化”、社会支出の削減、そしてもちろん完全な自由貿易の実現である。 IMF との新たな合意によって、タイでは外国人による銀行の株式保有率の制限が引き上げられ、インドネシアでは食料補助がカットされ、韓国では大量解雇を禁止する労働者法が撤廃されることになった。さらに IMFは韓国に容赦ない解雇の要求を突きつけけた。融資を受ける条件として銀行業界に50%の人員削減を求めたのだ(のちに30%に緩和)これらの要請は、アジア企業を買収するにあたって徹底的なスリム化を断行したい欧米の多くの多国籍企業にとって不可欠だった。ビニェーラの言う「ベルリンの壁」が今まさに崩れ始めていた。
危機が発生するほんの1年前には、このような措置は考えられもしなかった。当時は韓国の労働組合が最も戦闘化していた時期で、雇用の安定を脅かす新労働法案が提出されるや、韓国史上最も大規模かつ過激なストライキが決行された。ところが経済危機のおかげで様相は一変する。経済崩壊のあまりのすさまじさに、政府は暫定的な独裁支配体制を敷くことになるが(同じようなことはボリビアからロシアに至るまで世界各地で起きた)、それも IMF が介入するまでのことだった。
たとえば、 タイに導入された一連のショック療法は通常のような議論もなく、四件の緊急命令という形で国会を通過した。「われわれは自治権も、マクロ経済政策の決定権も失ってしまった。じつに不運なことだ」とスパチャイ・パニッチパッディ副首相は嘆いた(このときの協力的態度への見返りとして、パク ニッチパディはのちにWTOの理事に指名される)。 IMF の民主主義破壊工作は韓国ではもっともあからさまだった。交渉が終盤に差し掛かった時期、折しも韓国では大統領選挙が行われようとしており、主要候補者のうち二人は IMF路線反対を掲げていた。IMF はここで主権国家の政治 プロセスに干渉するというとんでもない手段に出る。当選した暁にはIMF の条件に従うという確約を主要候補者四人から得られない限り、融資は行わないとしたのだ。国を事実上の人質にとった IMFが勝利を手にし、候補者たちは書面でIMFを支持することを誓った。経済問題を民主主義の手の及ばないところに保護するというシカゴ学派の至上命題が、これほどまで露骨な形で現れたことはいまだかつてない。選挙は実施していいが、それによって経済の管理運営をどうこうすることはできない── 韓国国民はそう言われたも同然だった(韓国では交渉が成立した日は即座に「国民的屈辱の日」と名づけられた)。
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