地域の平和と安定を脅かす者の正体
トランプ大統領は、 バイデン政権までのアメリカの世界戦略に見切りをつけ、多極化に舵をきりました。そして、トランプ版モンロー主義を「ドンロー主義(Donroe Doctrine)」と表現して、西半球のアメリカ主導体制の再構築を進めています。
ヨーロッパや中東、アジアなどから手を引き、西半球の強固なアメリカ主導体制を確立して、アメリカの国力を高めようとしているのです。
アメリカの一方的なイラン爆撃は、イランを潰して、中東をイスラエルにまかせるためであったと思います。
中国が地道に進めてきた「一帯一路」への政策で、中南米諸国の参加が急増していましたが、 ドンロー主義を掲げるトランプ大統領は、西半球に対する中国の影響力排除に動いています。
パナマ運河の米国管理を主張したり、ブロックロック(BlackRock)が、港湾権益を買い取る交渉を進めているのも、そうした流れの一環だと思います。
また、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議(シャングリラダイヤローグ)で、アメリカのヘグセス国防長官は、「穏やかに話しながら、大きな棍棒 携える」と語ったといいます。これは第26代アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルト大統領が語った「穏やかに話し、かつ大きな棍棒を携えよ。さすれば遠くまで行ける(Speak softly and carry a big stick; you will go far)」という言葉、すなわち、物腰し柔らかく接しつつ、武力を背景に相手をねじ伏せ る「棍棒外交」のことを指しているといいます。
だから、トランプ政権の外交政策や対外政策が、「力の支配」を意図していることは、はっきりしているのです。
そんなアメリカのヘグセス国防長官と会談した小泉進次郎防衛大臣は、現地の臨時会見で、
”会談では、私から防衛装備移転制度の見直し、我が国の防衛力の一層の強化に向けた進捗について説明したところ、ヘグセス長官からは、日本の防衛装備移転制度の見直しを歓迎し、防衛力を強化しようとする日本の取組については、地域の抑止力を向上させ、地域の平和と安定に一層貢献する取組であるとして、支持の表明がありました。
また、中国をめぐる諸課題を含む、地域情勢についても幅広く意見交換を行い、日米が引き続き、揺るぎない姿を示しつつ、いかなる事態にも冷静かつ毅然と対応し、一層緊密に連携していくことを確認しました。日米防衛協力に関しては、より高度かつ実践的な共同訓練の進捗や、日米間の防衛産業協力などに関する定期協議(ⅮICAS)での議論の進展を歓迎し、SM-3ブロックⅡAやAMRAAM等のミサイルの共同開発・共同生産を含む日米協力の取組を更に加速させていくためのイニシアティブとして「オペレーション・スーパーチャージ」を提案し、具体的な方策について議論しました。オーストラリア・韓国・フィリピンをはじめとする同志国との連携についても話し合い、協力を更に進展させることで一致しました。”
と語っています(https://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2026/0530b_r.html)。
この小泉進次郎防衛大臣の会見での主張は、地域の平和と安定のためではなく、軍事力で中国を屈服させ、アメリカを中心とする西側諸国の「力の支配」を意図をしていることを示していると思います。
だから、ヘグセス国防長官の要求に応じて軍事力を強化したり、同盟関係を強化したりすることは、「法の支配」に反し、国際法や国連憲章の考え方に反するものであり、地域の平和と安定を脅かすと思います。
トランプ大統領は、先月27日、イランやベネズエラに対する軍事行動で成果を上げたと主張し、「次はキューバだ」と語ったことが報道されました。西半球のアメリカ主導体制を揺るぎないものにするために、長年対立してきたキューバに対し、体制の転換を視野に入れて、圧力を強め、キューバを屈服させようとしているのです。そして、「私はキューバを掌握する名誉にあずかるだろうと確信している」と語ったというのです。キューバ対する圧力も国際法違反であり、国連憲章違反だと思います。
だから、長年、西側諸国の植民地支配や内政干渉に苦しんできたキューバの歴史の一部をふり返っておきたいと思います。キューバは、マンピーの解放の精神を継承しているということだからです。
下記は、「カストロ 革命を語る」後藤雅子編訳(同文館)から、「Ⅰ キューバはいま 第二の独立革命」の”(2)「独立の父」ホセ・マルティ”を抜粋しました。
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Ⅰ キューバはいま 第二の独立革命
(2)「独立の父」ホセ・マルティ
マセオら独立派はゲリラ戦(小戦争)をつづけますが、 時とともに衰退します。 これはスペインが1880年に奴隷の解放を決定したために黒人の戦闘意欲は失われたためでもありましたが、さらに大きな理由は、砂糖生産者を中心に米国への併合を求める勢力がますます増えたことでした。
19世紀末には、キューバはまだ スペイン 植民地の地位にありましたが、本国政府の自由貿易政策のおかげで生産された砂糖の100%がアメリカ市場に向かっていました。(ただし、この割合は1910年代に入ると徐々に減っていきます)。また、10年戦争のあとには、戦争より荒廃した砂糖農場を買収するなど、米国の砂糖資本がぞくぞくと砂糖農場の直接経営に乗り出していましたから、彼らにとっても、キューバ 国内の砂糖農場主にとっても、スペインから独立し、米国の一州になったほうが有利だったわけです。
これにたいし、ホセ・マルティはキューバの完全独立を訴え、独立運動を開始しました。独立を単に植民地のくびきからの解放とはとらえず、国民が豊かな生活を営むための社会経済改革と結びつけて考えていたのです。マルティは1878年から17年間にわたってニューヨークに住んでいましたが、「 私は怪物のなかで暮らしているので、その内臓をよく知っている」、「米国の支配下に入ってもけっして幸福にはなれない」と主張し、独立の必要性を訴えました。
マルティは1895年4月1日、遠征軍を率いて東部のオリエント州に上陸し、マセオ・マクシモ・ゴメスらとともに、スペイン軍にたいし戦いを挑みます。惜しくも マルティは上陸1ヶ月半後の5月半ば、戦闘のさなかに斃れますが、独立軍は1898年初頭までに主要都市を除き、ほぼ全土を支配 下におくまでになりました。ところが 1898年2月、ハバマ港に停泊中の米国の軍艦レインボーがなぞの爆発事件を起こし、沈没します。これを機に米国が参戦し、その年の12月には 独立軍の頭腰しにスペインと米国との間でパリ条約が結ばれて停戦が決定され、キューバは米軍の占領下に置かれます。
1902年には占領体制が解かれ、キューバは独立国としての道を歩み始めますが、このとき、米国政府は独立の条件としてキューバ憲法に「プラット修正条項」を含めることを求めました。これは、外国との条約締結権の制限や米国のキューバに対する干渉権を認めたものであり、とても受け入れられるものではありませんでしたが、プラット修正を認めなければ 独立も認めないという米国の強い姿勢に押され、最後にはキューバ側が折れて受け入れを決定し、新国家は多難な船出をします。
当然のことながら、独立後、米国のキューバに対する政治的・経済的影響力は一層強まり、砂糖モノカルチャー経済体制のもとで 国民は貧しい生活を強いられてきました。ホセ・マルティの警告が的中したことになり、独立後の世代にとっては、ホセ・マルティの挫折した夢を実現すること、すなわち米国からの自立と社会経済改革が課題となりました。したがって、1959年のカストロらの革命は、黒人奴隷の反乱、十年戦争、マルティの闘争など、百数十年に及ぶ独立闘争の戦士(これはキューバでは「マンピー」といわれます)の願いであった「真の独立」を実現したものであったということができます。カストロら革命 指導者も1959年の革命を第二の独立革命と規定しており、革命後の76年に公布された社会主義憲法の前文にも、 キューバ 国家はまず 第一に、こうした マンピーの解放の精神を継承するものであることが謳われています
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